富田庸
日本音楽学会第56回全国大会 発表原稿 (2005年10月23日・明治学院大学)
自分は過去7年ほど、イギリスにおけるバッハ受容の研究に携わって参りました。「バッハの死後100年間に、イギリスでは彼の作品はどう受け止められていたか」という問いに対し、その答えを導く可能性を秘めた資料を見つけ出す、という所から取り掛かりました。実際には、大英図書館や主な大学図書館など、資料のありそうなところに的を絞って書庫やカタログを漁ったり、19世紀にロンドンのオークションで売買された楽譜資料を(現在は喪失してしまったものをも含めて)リストアップし、その限られた情報をこれまで明らかになっている歴史的文脈に当てはめて考察する、という程度のものでした。詳しい成果は、既に出版された一連の論文を御覧になっていただければ光栄です。参考として幾つか意外な資料の再発見の例を挙げさせていただきますと、今まで成立が1727年として知られていた《Hudemannカノン》(BWV 1074)で、1725年という年号の入った初期稿を伝承する筆写譜(GB-Ob, Tenbury MS 958, p.90)がオックスフォード大学にあったり、長年その存在がわから無くなっていたブラームスが所有し添削を加えたバッハ・コラール集の初版(GB-Lbl, K.10.a.39)やフーガの技法の筆写譜(GB-Lbl, Eg.3666)もロンドンで見つかったりと、いろいろ思わぬ収穫もありました。
この10年ほどポピュラーとなった『受容史』というテーマですが、自分にとって一番興味のあるところは、バッハの作品がどのような形で後世に伝わり、それがどう扱われ、当時の音楽家や一般市民にどのように受け止められ、どのような影響を与えたか、というところです。従来の研究では、バッハの音楽は我々が知る原典版のような、ある程度信頼できる楽譜で伝承してきたことを想定し、考察を進める傾向がありました。それは旧バッハ全集が出始めた19世紀後半からは可能かもしれませんが、その前の時代には、バッハの作品の伝承には筆写ミスや第3者による改訂などが混入したケースが多く、受容研究の大きな障害になっているのが実態です。場合によっては、その資料自体に、当時のバッハ受容の実態を生き生きと再現しうるに十分な情報を含んでいる面白いケースもありますが、大部分は現存する資料に受容の複雑な実態が反映している場合や、反対にそのようなことがクリアに見えてこない場合で、そのために現在の分析テクニックでは情報分析が不可能だという結論に落ち着かねばならない場合も少なくありません。作品の創作過程やその伝承を完全な形で再現し証明できる根拠を含んだ新しい資料が発見されるか、それとも画期的でパワフルな情報分析法が確立されるか。それら革命的な変化無しには、もはやその限界を超える術はないであろうという結論に至りました。
具体的な例として、音楽中の異形(資料中に見られるピッチやリズムなどの違いなど)の起源と信憑性という問題を考察しみてみます。コピイストが誰であるかという難問はまずおいて置いて、この異形は作曲者であるバッハ自身によるものなのか、それとも第三者なのか。オリジナル資料からの情報が少ない場合には、判断材料が少ないわけですから、当然のことながら評価は難しくなります。散発的に追加・削除された臨時記号などは、この良い例です。研究が作品の伝承や、後の作曲家への影響を含めての受容史の問題を扱うにあたっては、この異形はいつ、どの資料上で混入されたのかを究明しなければなりません。また、異形は現存する資料の作成中に混入されたのか、それとも既に失われた資料上なのか。そして更には、これらの異形が混入されるにあたっての背景を調査しなければなりません。なぜ混入されたのか。どのような文脈があったのか。故意に加えられたのか、それとも偶然の間違いなのか。筆写者に関する知識と情報の欠如、紙の製造年を割り出す情報の欠如、インクを分析する技術利用の困難さ、資料の起源を突き止める情報収集の難しさなど、それぞれの研究部門が十分な情報を提供できていないのが現実です。とくに第二次資料と呼ばれるものに関しては、新バッハ全集では、主眼とされていなかった所ですし、まだきちんと基礎研究すらできていない資料もたくさん残っています。実際、このようなバッハ受容関係資料の洗い直し作業は、研究がこれから、という段階にあり、この10年以内に世界各地に広がってゆくものと期待される一方、これまで以上の研究成果をだすにはどうしたらよいのか、という問題を議論したい、というのが今日の一番重要なポイントです。
作品の伝承と受容を離れて、バッハの時代の研究方面に視点を移します。最近Telemannや、Fasch、Zelenkaなどの作曲家の研究が進んでいます。それを元に、バッハの音楽はどこから由来したのか、バッハのオリジナリティは一体何なのか、という議論が新しい資料を基に再展開されるようになるでしょう。これが今世紀の大きな争点となる可能性を秘めた2点目です。
以上2つの研究分野に共通する問題は、どちらも新しい資料の発見に依存しているということです。研究の進展には、広い意味での資料の発見が欠かせません。1999年にKievで見つかったSing-Akademieの資料から学べるところは、この10年はホットに発表されつづけられるでしょう。
今年の6月に発見されたBWV1127の例や、昨年のBWV216の場合をみると、どちらも予想していなかったところに保管されていたものが、たまたま偶然に見つかった、と報告されています。資料の新発見には、受身の姿勢で謙虚に待つほかはない、というのがこれまでの普通のスタンスでした。しかしBWV1127の場合は、実はLeipzigのバッハ・アルキーフが数年前に打ち出した、「ドイツの地方図書館資料の徹底的洗い直し」という大規模な資料探索の一環として発見されたもので、見つかるべくして見つかったという見方も可能です。このプロジェクトの背景には、過去の研究の消極的なアプローチからの脱出という意義もあり、より完全な資料の把握へ向けての画期的な試みとして評価されています。この資料の体系的な洗い直しという作業は、しかし、世界的に見られる最近の傾向であって、バッハ研究だけが頑張っているわけではありません。例えば書誌学方面では、RIPMプロジェクトがあります。19世紀の音楽雑誌を体系的にインデックス化し、研究者の基礎資料を揃えようというものです。研究のアプローチという面からは、これらは基本的には同じです。単純に言えば、今のうちに見つけられる資料は消滅してしまう前に全て見つけてしまおう、という発想です。しかし、その次の段階に、それらの資料をどう分析し、解釈するか、という研究方法に関しては、現在の段階では、そこまで深く突っ込んで考えていないのでは、と思われますので、今日はこのところを少し掘り下げてホットな議論が展開できればと思います。
今世紀のいちばん大きな課題はといえば、最終的には全世界に散在する様々な資料を、多角的かつ総合的に分析できるコンピュータ・システムの構築にあると考えます。この背景と草案は、2002年の11月に静岡で行われた当学会の国際大会にて英語で発表させていただきましたが、ここに草案からの要点のみを日本語で繰り返えさせて頂きますと、まず第一に、資料をデジタル化し、コンピュータを使って分析が可能なレヴェルまでもってくること。これは、資料の保存という観点からも、ぜひとも、デジタル化のための規格を早急に決めていただき、実行に移す必要があります。国立図書館や大学に属する研究所などが保管する資料に関しては、国からの助成金が期待できますし、実際に国際的に見回してみますと、このような試みが散発的に研究資金の調達に成功しています。これらのデジタル資料が、近い将来、システムの中で共有できるデータとしての互換性を保証するためにも、IAMLが中心となって活動するのが理想的だと思います。ここで一重に資料といっても、バッハの自筆譜や筆写譜などの楽譜資料に限らず、手紙や文書の内容や筆跡、それに紙の透かし模様や、使用されたインクや筆記具もデータ化されなければなりません。
第二に、そのデジタル化された資料からの情報を抜き出し、それを解析するソフトの開発が必要になってきます。時間の関係で、今回はその詳細にわたる説明は割愛させていただきますが、このような研究に必要なノウハウや技術は、例えば、手書き文字の解読や、筆跡鑑定など、音楽学以外の分野では既に実用化されているものも多くあり、学問の分野を超えた学術協力が必要になってきます。
そして、第三の問題が、ハードウェアの問題、つまり資料データなどのデータベースとデータを解析するマシンの設置と、それをグローバルレヴェルで機能させるインフラの整備、つまりE-Scienceのグリッドの構築です。これは次世代のインターネットのインフラとして、私たち音楽学者は黙っていても整備が進んでくるものと思われます。
先に述べた、作品中の異形の起源と信憑性の問題をこのモデルに照らしてもう一度具体的にみてみますと、私たちは、次のようなデータリソースと解析モジュールへのアクセスが同時に必要なのです。
などです。
もし、この資料に関しての筆写者の仕事の信頼度を測りたいなどという場合、研究者は、次のような分析に視点を移して実行することもできます。
このように、私たちは音楽学の様々な問題を、視点を変えてみようと一瞬思った時にいろいろな角度から再検討ができるわけです。
現在のバッハ資料研究をこの新しい文脈から見てみますと、紙やインクの分析などの古文書学的調査では科学技術的方法や機材を採用することはありましたものの、楽譜の分析――つまり資料批判などの文献学的調査や、記譜に反映される作曲家・筆写者・編集者の活動の社会背景、それに筆跡の調査など――にあたっては、科学技術からの応用は殆ど皆無でした。音楽学特有の問題を解決するためのアプローチ自体を見ても、私たちはより厳密に再現が可能な科学的モデルを採用するべきだと考えます。それにより、将来の研究者にとって、過去の研究の方法論、根拠、結果などの再吟味がしやすくなるというだけでなく、それを直接土台とし、新しい研究を速やかに築き上げることが可能になるからです。今日と明日の技術を注視し、将来の研究のあり方を真剣に考えなくてはならない時になりました。
今後の楽譜資料研究では、紙に記された記号を21世紀の読者からの一視点として考察するだけでは足りません。過去に生きた個人の癖やその時代と地域特有の習慣などを含めて、コピイストの能力や姿勢、意図をも読み取れるシステムの開発を通し、そこから得た膨大なデータを処理することにより、これまで見えなかった楽譜作成時の様子をより立体的に再構築することも可能になってくると思います。
将来、研究の専門化と細分化はより進行する傾向にあるのは明白ですから、このままでは他人の研究はより見え難くなる事は必至です。私たち研究者は世界各地で独自の研究を進めつつも、他人の研究が速やかに応用できるような環境造りに積極的に取組まなければなりません。科学分野ですでに始まったe-Scienceをモデルに、世界各地に散在する資料データやコンピュータなどのリソースをインターネットを通して共有することにより、柔軟でかつ安定したダイナミックな研究基盤を構築してゆくことが21世紀の音楽学の姿なのではと想像しています。