プレビュー “Disklavier Pro”

ピアニストを対象とした次世代のピアノプレーヤー

富田 庸

1997年4月20日


この秋にピアニストやピアニスト志望の音大生待望のマシン,“Disklavier Pro”がヤマハよりリリースされる。これは,現行のピアノプレーヤー (MK II) の上位機種としてヤマハで開発されてきたもので,アメリカとドイツでは既に今年の1月と2月にそれぞれショーに出展され,海外の関係者から注目を集めている。ここでは,ヤマハ浜松本社でのプロトタイプモデル(MK III)の視察をもとにレポートする。なお,ここで用いられたMK IIIは,ヤマハのコンサートグランドピアノCF IIIに設置されており,検査に用いたデータは(1)あらかじめプロがMK IIIで演奏,録音しそこでMK IIIによって再生したもの,(2)測定用の純粋なMIDIデータ,そして(3)実際にピアノ上での試奏を交え検討したが,この楽器が将来のピアノ教育に革命をもたらすかどうか,その用途や将来性まで含めるのと同時に,現在英国の大学で進められているピアノ教育・演奏研究の紹介も交えて考察を加えてみたい。

“Disklavier”は日本国外で採用されたモデル名であるが,日本国内ではピアノプレーヤーと呼ばれ,1981年にリリースされた。この楽器は,普通のピアノに光センサーとコンピュータ制御のメカニズムを装備することにより,演奏の録音・再生を生の楽器で可能にしたもので,演奏データを装置に組み込まれているフロッピーディスクに収録することができる他,MIDIにも対応していることから,その用途はいろいろ考えられ,その将来が期待される。この楽器は,透明人間がピアノを演奏しているようなそのイメージから,アメリカではエンターテイメント市場に強烈なインパクトを与え,生演奏とは一味違った地位を獲得し,現在ヨーロッパでも加速的に普及しつつある。この楽器は,大学でもコンピュータと連結したりして即興演奏や作曲の分野でよく用いられている。しかしながら,ピアノ演奏を本格的に探究している研究者や学生の間では,まだ広く普及していない。この理由としては,根強い伝統への固執という一面と,この楽器がピアニストにとっては一番気になるところのタッチや音色の部分,また速い連打やピアニシモ等の繊細なレベルでの録音・再生が満足できるレベルのものではなかったという面があげられよう。今回新しく開発されたProモデルは,過去に指摘されてきた数々の問題点の克服を試みており,音楽大学レベルでの演奏教育の現場での使用も考慮に値しよう。

ピアノのアクション・メカニズムの原形は,18世紀初頭にバートロメーオ・クリストーフォリによってフローレンスで開発されたものと考えられているが,現代のグランドピアノのメカニズムは,それ以降約二百年,改良に改良が重ねられ,約一世紀前に現在の成熟した形に達した芸術品である。ピアノ演奏を正確に記録し再現を試みる上での技術上の最大の難点は,そのピアノという生の楽器の性格の源であるこのデリケートなアクションの動きをいかに厳密に計測し,それに基づいて音を正確に再現できるかということである。これは演奏時に使った運動量を測定する場合に限ってみても,アクションを構成する複数の部品の組み合わせによる複雑な動き,また,木やフェルトといったものの材質や湿度による摩擦力と弾力性の変化,そして更には,ハンマーが弦を叩いた時に生じる反射的な力の加減にも影響されるということも考慮に入れておかねばならない。これらの組み合わせは複雑で,現在の段階では物理学的に完全な形で演奏を記録し再現することは殆ど不可能であるというのが一般的な見解であろう。ましてや微妙なタッチ,音質,それに響きを評価しそれを再現しようとするならば,その分析に必要なデータ収集は想像を絶するほど複雑な様相を呈するだろう。この問題に対しヤマハは,アクションの動きをハンマーが打弦するタイミングと速度,それに鍵盤の上下のスピードを測定するという視点へ絞って測定する方法を採用し解決を試みている。これは言い換えれば,アクション全体の動きを一元化し,間接的に把握する方法であるが,膨大な実験データに裏付けられた実践的な妥協案だそうである。また,演奏の再現をより正確に保つため,鍵一つひとつの制御には学習機能が自動的に働くように工夫し,精度と安定性を高めているそうである。

実際にこのプロトタイプで演奏の記録と再現のテストを多方面から行ったが,鍵の上下の速度の制御は現行のモデルのそれと比べ,格段と精度がアップしている。例えば,前のモデルでは不満の残ったピアニッシモとフォルテッシモの再生が,このプロトタイプではかなり忠実に再現されており,ダイナミックレンジが大きく広がった。参考のためにコンピュータを繋げ,MIDIから出力してみたところ,前のモデルではvelocityレベルが35あたりから音が出始めたが,このプロトタイプではvelocityが5から音が出始めた。しかし,全体的な印象から離れて,厳密に限界を追求していくと,まだ完全には克服されていないと感じられた点もいくつか目に付いた。

まず問題として必ず浮上する点は,ピアニッシモでの打鍵,つまり,打鍵速度を可能な限りゆっくりとしたものである。これは,楽器によって鍵盤の重さやレスポンスが違うなど,ピアニストにとっては音量のコントロールが乱れたり,打弦をしくじったりする危険性がある微妙な問題で,神経質になりがちなところである。実際の所この問題は,ピアノのアクションの一種の構造上の特徴によって起こる現象とも言えるので,そのメカニカルな部分を少し説明する必要があろう。

ピアノのアクションは,鍵を押す力がある一定の速度を下回ると,鍵を底まで押し下げても打弦に至らず,いわゆる「空振り」の状態を作り,ダンパーのみがリリースされるようにできている。この場合のハンマーの動きは,鍵盤からの運動が最終的に伝えられるエスケープメントという構造部から放れて自由になり,打弦へと上行するのであるが,そのタイミングでの運動量がハンマーの重量を弦まで押し上げ到達させるまでには至らず,結局音がでないということになる。ところがこの運動量を物理的に計測しようとすると,いろいろ難問が出てくる。このエスケープメント部とハンマーが接触しているローラー部分の摩擦力がまず問題になってくるが,その他にも正確さを追究すれば,複雑なアクションメカニズムの至る所に存在する摩擦力を考慮すべきであるし,エスケープメント部の中のジャックの動きを決定付けるスプリングの力もそれに微妙に介入してくるであろう。

実験として,打弦限界ぎりぎりの所,つまりピアニッシモとして発音されるか,されないかのところを数回打鍵し記録してみたが,再生時に少し強く感じられたものや打弦しなかったケースが時折見られた。これは,機械に完璧なパフォーマンスを期待する我々にとっては,少々残念ではあるが,ピアノのアクションの構造の複雑さや,各鍵の癖,それに日常のピアノの練習での使用状況を考慮すれば,満足できないレベルではない。

もうひとつの問題点は,同音の連打に関したものである。グランドピアノのアクションは連打時のハンマーの制御技術に微妙な所があって,鍵が完全に上がってしまう前に打鍵を繰り返すことができる二重構造になっており,アップライトピアノのアクションと比べより速い連打が可能になっている。これは言い換えれば,ハンマーが打弦完了後,一番下の位置へ完全に戻ってしまう前に再び打弦へ向けて上向を始めるため,打弦に際し距離が短くなることに依存している。この場合,打弦時にハンマーが得た下向きの瞬間的な反発力も加わり,ハンマーの動きが距離的にも時間的にも短くなるといった現象が起こる。この演奏技術は実際問題としてかなり高度なもので,音大生レベルでもなかなか完全にマスターできないものである。このプロトタイプでは連打が毎秒約10回というデータが出ているが,プロの利用をも想定すると,理想としては最低毎秒15回を実現して欲しいところだ。この秋の発売までに更なる改良が重ねられていくと聞いているが,どこまでプロの演奏技術に迫っていくのか楽しみである。

以上,演奏再現能力に関した技術的問題をいくつか観察し論じてきたが,次にこのピアノプレーヤーがこれからの音楽教育分野でどのように用いられその真価を問われるか,また教育者や教育法自体は,その新しい楽器にどう対応していくのか,という問題を二三考察してみたい。

まず第一に,ピアノプレーヤーを用いることにより,ピアノ専攻の学生が日常の練習を構築するにあたって,有意義で効果的な体系を考え試行するという,練習に対する積極性と創造性が問われるようになるということである。例えば,練習の初期段階では,片手ずつ行う単調な練習に自分で録音したもう片方の手を加えて練習してみたり,両手で演奏し記録したものを片手ずつ再生し,粗を探すということもできる。この効果については,実際過去にリーズ大学にてある程度実証済みである。そして中期段階では,ゆっくり表情豊かに演奏したものが,最終スピードではどのような効果が得られるかという実験的な試み,また演奏家として一番気になるところのテンポの揺れが客観的に聞き返した場合,実際に演奏している時に考えていたイメージとどう違うのか等,より高次元での演奏の評価まで応用することができる。更には,コンピュータをつなげ,演奏データを目で見ながら,細かい音の粒や和音のバランス等をチェックすることもアイディアとして考えられる。そして最終段階では,演奏会場に備え付けたピアノプレーヤーで,自分の演奏を会場で確認することが可能になり,ホールの音響に合わせたペダルの効果や,各音域における音量のバランスを考慮することもできるようになる。

第二に,音楽をそこまで専門的に追求しない学習者を含めて,ピアノの練習方法全般に変化の波が押し寄せてくることになるであろう。これは,家庭にコンピュータが普及し,その用途が我々の生活に大きな影響を及ぼすであろう言われているのと同様に,新しい資源の効果的な利用という点で必ず実現化されていくものと認識している。実際に,自主学習用の教材が店頭に現れつつあることにより,特定のピアノの教師につく時間制約が少なくなり,ディスクを用いた遠隔レッスンも可能になってきている。また,教材自体の性格は,単なる機械的な繰り返しに主眼をおいた万人向けのエチュード型のものから,特定のユーザの年齢や技術的レベルに焦点を合わせて知的で体系的に構築された「練習メニュー」へと流れが変わっていくことが予想される。
しかし,それが現実となるまでは数々の障害を研究によってクリアして行かねばならず,その道程はまだ長そうだ。完成度の高いピアノ教育ソフトを製作するには,従来のように紙の上で印刷するだけではなく,マルチメディアを駆使しなければならない分だけ必要とされる知識が多岐にわたるからである。例えば,ピアニストとしての技巧に対する理解や音楽に対する感性,教育者としての知識と経験,音楽学者としての専門知識と解釈,そして,ソフトを製作するにあたってのテクノロジーの理解など,多方面の専門知識を結集する作業を頭に描いてみれば分かるとおり,大掛かりなプロジェクトを組まねば実現しにくい課題であると認めざるをえない。その中でもとりわけ難しいのは,演奏指導と評価,感性の指導,それに歴史的背景を踏まえた上での曲の解釈などの問題に内在する「多様性」をどう一元化し,ソフト上で親しみやすく提示するかであろう。

研究開発中に危惧されるであろう問題をこうしてつぶさに眺めてみると,解決の道は存在しないかのような錯覚に陥ってしまいそうである。しかし,この「練習メニュー」の重点目標は,音楽を学ぶ過程の充実にあって,完璧な演奏のモデルの一つを模倣し再現するための努力へと逸れるべきではない。過去によくみられた一つの解釈の押し付けというスタイルのピアノ教授法は,その曲を早くマスターさせたい指導教師にとっては好都合であるかもしれないが,当人の学生の為にとっては知識としての価値観が薄く,それ故に応用を効かすことが難しく,結果的には非効率であると言われても仕方がないであろう。ここをしっかり踏まえていれば,特定のユーザのレベルを正確に把握することすら難しいこの自主学習教材のあるべき姿が見えてくるはずである。
この事を踏まえて,ソフトの基本理念を提唱してみたい。まずここで重要なのは,「曲の解釈」という概念を見直すことである。解釈というものは,その時と場所に強く依存し,時代とともに変遷していく運命にある故,正しい答えの一つのみを提示する必要は全くない,と割り切って考えても差し支えなかろう。その代わりに,正しい解釈までの道程を明確に提示し,ユーザを効果的に導くのが教本の役目である,と考えている。実際には,特定の曲を通して分かりやすく説明しながら学習する過程を通して,ユーザが妥当な解釈ができるよう教授していけばよいのである。

「感性の問題」も,また然りである。感性の源泉は、歴史的背景を正しく踏まえた上での曲の様式に対する健全な理解と楽曲分析の見識であるべきであって,曲を練習している時にいつもそこに留意せねばならない。例えば,練習に取り掛かるときに,音符を正確に弾くことのみに注意するのではなく,曲に使用されているモチーフなどの素材の性格を掴ませ,それが組織的にどう成長していくのかという過程を見極める能力を育む方向へもっていく必要がある。つまり感性の表現には,時空を超えた音楽の普遍性と歴史的依存性という二面性を踏まえた上での「自由な色付け」という要素が入り込む余地が個人に許され,それが「個性」として磨かれ,曲の解釈に反映すべきものであると考えている。ここで提唱している「練習キット」では,その辺の歴史的周辺情報や練習問題を交えながらより知的に迫っていく過程を織り交ぜることにより,ユーザ各自に試行錯誤を重ねながら学ぶということを体験させ,各自が納得のできるような解釈を構築していく段階への手助けに主眼を置いている。この新世代のピアノ教本の行方は,これからの研究にかかっているが,その広い普及までには,レパートリーの充実が不可欠であるため,相当の努力と資本の投入が必要となってくるであろう。

最後にもう一つ,英国・シェフィールド大学のエリック・クラーク教授のピアノ演奏研究を紹介しよう。クラーク教授は,ピアノプレーヤーを使って「よい演奏」とは何なのかというテーマを研究課題としてコンピュータで演奏の分析調査を行っている。彼のアプローチを要約すると,プロのピアニストが自在に操るテンポの揺れや音量の調節は曲の性格や構造とどう関わっているのかということに視点を置き,その結果から導かれる曲の演奏解釈と,楽曲分析や様式研究がどう関わっているか,またそれは学生を指導する上でどう役に立てることができるかを実証しようとしている。このような場合など,データを集める作業は高感度のピアノプレーヤーであればあるほどデータを提供するピアニストにとっては自然に弾くことができ,信頼性の高いデータの収集が可能になる。

以上,英国の大学でピアノプレーヤーを用いたピアノ教育・演奏方面の研究をいくつか拾って紹介したが,これらの研究が実を結ぶ鍵は,ピアノプレーヤーという楽器の質の高さとその広い普及が握っている。この秋のDisklavier Proのリリースに期待する。


 この未発表のレポートは、1998年9月13日にアップロードしました。コメントをお待ちしています。