この曲集の自筆浄書譜(現在ベルリン国立図書館所蔵)が書き上げられたのは、1720年で、これは生活に恵まれていたケーテン時代(1717-1723)のちょうど中ほどにあたります。当時35歳のバッハにとって、子供たちの音楽教育に目覚めた年であり、12年間付き添った妻マリア・バーバラを亡くした衝撃の年でもありました。楽長という高い地位にあり、オルガン演奏や教会音楽に携わる必要の無かったバッハが、チェンバロ、室内楽曲の作曲家として十二分に羽を伸ばせた充実した時期でもありました。しかし、1720年というのは、あくまで清書された年代で、作曲はそれ以前、つまりバッハがヴァイオリンの演奏を受け持っていたヴァイマール時代(1708-1717)に遡るのでは、と考えられています。バッハがつけた標題は、「通奏低音なしのヴァイオリンのための6つの独奏曲 第一巻 J.S.バッハ作曲 1720年。」この「通奏低音なしの」というくだりは、当時の室内楽が、和声を担う通奏低音楽器群(チェンバロ、チェロ、ヴィオローネ、ファゴットなど)を組み入れるのを常としていましたから、それを使わない、いわば例外的であった、ということを強調しています。バッハ以前にも、T.バルツァー、N.マティス、J.H.シュメルツァー、J.P.ヴェストホフ、H.I.F.ビバー、J.J.ヴァルター、J.G.ピゼンデルなどがこのジャンルの曲集を書いていますので、バッハが新しく開拓した、というわけではありません。しかし、バッハの曲にみられる書法、つまり弦楽器に焦点をあてて徹底して追求した対位法の書法は、音楽的関心や技巧的要求という面で先駆者の範例を遥かに超えています。少し逸れますが、これに続くチェロ用の6曲が「第二巻」(自筆譜は消失)とされていたというのが通説です。 |
「彼は青年時代からかなりの高齢まで、ヴァイオリンを澄んだよく通る音で演奏し、オーケストラに整然とした秩序をあたえるのでしたが、同じ事をチェンバロを使ってやるよりは、この楽器でやるときの方がうまくゆくようでした。彼は全ての弦楽器の持つ様々な可能性を完全に把握していました。彼の低音部無しのヴァイオリンおよびチェロの独奏曲がこのことを立証しています。優れたヴァイオリン奏者となるための教材として上記のヴァイオリン独奏曲以上に完全なものは見たことが無く、また学習者たちに対してもこの作品以上にうってつけのものを勧めることはできないだろうと、当世最高のヴァイオリンの名手が私に語ってくれたものです。」
2000年10月19日(木)19:00開演(18:30開場) トッパンホール
J.S.バッハ
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 BWV1003
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト短調 BWV1001
ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第4番ハ短調