音楽の父として

後世の作曲家からみた「バッハ無伴奏」の魅力

富田 庸

 今日、バッハのイメージといえば、晩年の威厳に満ちたバッハの肖像画(1747年、E.G.ハウスマン作)を思い浮かべられる方も多いかと思います。少し体を傾けてポーズを取りつつも、わずかながら温かい笑みをたたえているその表情には、自信に溢れる62歳のバッハが確認できます。一見厳しそうで優しさに満ちた、まさに「音楽の父」にふさわしい姿です。しかし、ある眼科専門医によれば、この肖像画にはすでに白内障の兆候がでているとのこと。その約2年後の1749年6月には、バッハの雇用者であるライプツィヒの市当局が、彼の死去の場合を想定して後任者の試験演奏を行なっていますので、それまでにバッハの視力は確実に衰え続けていたことが窺えます。バッハが他界したのは、1750年の7月ですが、彼の死期を早める事となったその直接の原因は、同年3月から4月にかけて2度にわたって行なわれた目の手術の際に使用した薬の副作用であった、という説が有力です。しかし、いかにバッハの視力が衰えていたとはいえ、1年以上も前から死を想定して後任者を探すという市当局の対応は、非情なものでした。実際、市当局とバッハの間には、職務上の権限や現状理解の食い違いがもとで激しい対立も幾度かありましたが、そのことが尾を引いていたのかもしれません。  
J.S.Bach
E.G.ハウスマン(1747)
妥協を嫌い、常にベストを尽くす、というバッハの頑固な態度がその大きな要因であったことは想像に難くありませんが、それは当然ながら芸術面でも「事件」となったことがありました。1737年に教え子のJ.A.シャイベに、バッハの作風は、ごてごてした複雑な書法や過剰な技巧の使用が過ぎており、音楽の美が損なわれている、と音楽雑誌上で批判されてしまったのです。伝統的な様式を研究しつつも新しい様式を常に積極的に取り入れていたバッハでしたが、自己の感情を素直に表現する新しい音楽美学に基づいた軽い様式を提唱する若い世代と衝突することとなったのは、ある意味では象徴的な出来事でした。芸術家としての価値は、後世の反動が大きければ大きいほど高い、と言います。西洋音楽史では、バッハの死がそのままバロック時代の終わりとされています。その時代の頂点を極めたバッハの偉業が、子弟や、ごく一部の音楽通の間でしか理解を得られなかったという点に関しては、いつの時代にもみられる、時空を超えてしまった芸術家の寂しい宿命であるともいえましょう。この肖像画中のバッハは、健康、社会、芸術全ての面において、危機に立たせられていたことになりますが、それを感じさせない懐の大きさがバッハにはありました。
 バッハに続く2世代が築いた古典派の音楽家にとって、バッハの作品は独特の意義を持っていました。音楽愛好家を含めた社会一般からはほとんど完全に忘れられていたバッハが、プロの演奏家や理論家のサークルでは、一部の作品と共にその栄光の座を保っていたのです。バッハの作品の中でも特に重宝されたのはクラヴィーア曲です。これらは、教育用として引き続き活用されていただけではなく、演奏家も自身の才能を誇示するための「難曲」として、一目置いていました。実際に、この世代を代表するモーツァルトも、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」から深い感銘を受け、作曲上の影響を強く受けましたし、少年ベートーヴェンも、バッハの「平均律」を弾けるという事でその天賦の才能を世に示しました。当然ながら「無伴奏」も後者に属し、次男エマヌエル・バッハのもとで研鑚を積んだといわれるJ.P.ザロモン(1745-1815)が、ドイツとイギリスでこの難曲を演奏して名声を博したことが伝えられています。このように「音楽の父」としてのバッハの役割は、芸術の深みを理解し、それを糧とすることのできる一握りの「音楽の子」へと伝授してゆくことでした。
 バッハが一流の作曲家としての地位を獲得したのは19世紀になってからのことです。1802年に出版されたJ.N.フォルケルの『バッハの生涯、芸術および作品について』がその先駆者的存在となっています。この「バッハ伝」は、バッハの長男と次男から様々な情報をもとにしているため、今では立証不可能な史実を多く含んでいると考えられており、現在も貴重な研究資料としての価値を保っていますが、この本が書かれた当時は、ドイツ国民意識が台頭しつつありましたから、バッハは国民の大切な遺産であるという、もう一つの「国民の父」としてのバッハ像が打ち出されることとなったのです。
 このフォルケルの「バッハ伝」とほぼ同時に、バッハの作品もヨーロッパ各地で次々と出版され始めました。「無伴奏」全曲の初版は、ボンのズィムロック社から1802年に刊行されています。これらの出版譜が競って出されたことで、今まで子弟関係を中心に細々と伝承されていたバッハの作品が広く知れ渡るようになり、それに伴い、次世代のバッハ観も大きく変わっていきます。
 「無伴奏」のなかでも特に高い関心を集めたのは、パルティータ第2番の終曲である「シャコンヌ」で、様々な演奏形態へと編曲されました。ピアノ伴奏を加えたものは、F.W.レッセル(1845)、メンデルスゾーン(1840-47)、シューマン(1853-54)のものが良く知られていますが、最後の二人の編曲は、第三者により再度アレンジされて出版されています。その他にも、A.ヴィルヘルミは小編成のオーケストラ伴奏(1885)を書いていますし、ピアノ用の自由な編曲ではC.D.vanブルイック(1855)、J.ラフ(1865-1867)、E.パウアー(1867)、F.ブゾーニ(1893)のものが知られています。左手だけを使ってピアノで演奏するように編曲されたブラームスのもの(1877-1879)は特に巧みにアレンジされています。その他にも、4手のためのものや、2台のピアノ、オルガン、ピアノ・トリオ、弦楽四重奏、チェロやヴィオラ用に忠実に編曲されたもの、2つのヴァイオリン、ギター、オーケストラ用などへも広く編曲されています。
 このようにバッハのオリジナルを編曲することへの意義は、概して二つありました。一つは、ロマン派の音楽家が、バッハの楽想の豊かさに魅せられてしまったと言うことです。1840年にメンデルスゾーンが自らのピアノ伴奏で演奏した「無伴奏」(ヴァイオリン:F.ダーフィット)を聞いたシューマンは、「メンデルスゾーンは、バッハの原曲にあらゆる種類の声部を絡ませ、しかも聴衆に喜びを与えた」とその感想を述べています。そのシューマンも、後に自らピアノ伴奏をつけて出版していますが、彼はロマン派の思想からバッハの表現を感じ取っており、「無伴奏」の幅広い伝承に貢献しました。このことについては、1877年にブラームスがクララ・シューマンへの書簡の一つで述べている感想が、ロマン派におけるバッハのイメージを的確に言い当てていると思います。
 「『シャコンヌ』は私にとって最も驚異的でかつ不可解な作品の一つです。ほんの一段の譜表で、ひとつの小さい楽器のために、この作曲家はこれほど深遠な思想と力強い感情の世界を創造したのです。もし私自身が霊感を得ることができてこの曲を作曲したと想像すると、その途方もない興奮と感動で気が狂ってしまったことでしょう。」
 つまり、シューマンやブラームスを始め、多くのロマン派作曲家の目的の根底にある音楽哲学は、音楽的に不毛な時代に、そのインスピレーションを伝統(主にバロック時代の音楽)に求めた、ということです。
「シャコンヌ」
J.S.Bach:パルティータ第2番より
 バッハの無伴奏を編曲したもう一つの意義は、潜在的に聴かれるべき和音を響きとして実際に顕在化させてしまおうとしたことです。これは、ヴァイオリン独奏が演奏媒体として完全ではないとみなされていたことを意味しますが、その一方で、バロック音楽の新しい響きは、19世紀という、その時代特有の社会文化の中で何を反映し、どんな役を担い、どう機能したのかという、より大きな視点から捉えた受容を評価していかねばなりません。美しいと感じていたバッハの音楽を、より美しくするためにとった行動の結果であることには違いがありませんが、これは、ある過去の偉大な作曲家の作品を、同じく偉大な現代の作曲家が注釈を加えている、といった肯定的な評価も可能ですし、バッハの音楽を誤解したがための改悪だ、という否定的な評価もできます。シューマンが「無伴奏」に付したピアノ伴奏を例に取れば、リズム、和声、主題、モティーフ、形式上の構造などにおいて、バッハの生きた18世紀前半の音楽概念とはかなり異なっていますから、明らかにバッハの意図を読み違えているという結論を導くこともできる訳です。そこでの一番の問題は、バッハの音楽の真髄である曲の構造としてのバランスが崩れてしまっていることでしょう。曲の構造美が失われてしまったという点から見れば、バッハの「無伴奏」は、明らかにオリジナルの持つ歴史の香りを失ってしまっているのです。
 パガニーニ(1782-1840)の「24のカプリッチョ」も、多くの編曲が出たという点ではどちらも同じ運命を辿っているように見えますが、ヴィルトゥオーゾが台頭してきた18世紀末に生まれたパガニーニが、バッハの「無伴奏」の持つ“論理的な構造”という概念を受け継がず、19世紀に流行った無窮動というスタイルを推し進めたことによって得たその時代の精髄が、編曲に耐えうる柔軟性を持ち合わせる事となったと言えましょう。


このエッセイは、東京・文京区のトッパンホールの特別企画「バッハ没後250年記念演奏会」第2夜のプログラムに掲載されたものです。


    2000年11月10日(金)19:00(18:30開場) トッパンホール

    渡辺玲子(ヴァイオリン)  

    J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004
    J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005
    パガニーニ:「24のカプリッチョ」作品1より 第5番イ短調、第7番イ短調、第24番イ短調