楽譜に秘められた音の創造

自筆譜から読むバッハ

富田 庸

 バッハが他界してから250年――。彼が生涯を通して書き綴った無数の楽譜のうち、今日まで残されているものは何割程度なのか、今となっては知る由もありません。バッハ自身が廃棄処分した草稿譜は論外としても、丹精こめて作成した大切な浄書譜がバッハの死後に家族内で配分され、その結果かなりのものが散逸してしまったのはとても残念なことです。幸運にも現存している楽譜でも、その一部が欠けてしまっていたり、紙質の硬化に伴う破れやインク中の酸による紙の腐食など、存続の危機に瀕しているのが現状です。そういう意味では、「無伴奏」のバッハの自筆譜が完全な形で、しかもかなり良好な保存状態で残されているということは、研究心に事欠かないヴァイオリン奏者にとって天佑神助というところでしょうか。
 概して、自筆譜というものには、それを書いた人柄や性格が漠然と映し出されているものです。ベートーヴェンの大胆な殴り書きは有名ですが、バッハはその対極にあったと言っても良いほど楽譜を整然と書きました。所々窮屈に書かれているものもありますが、バッハは紙をとても大切に使いましたので、浄書譜を作成する時には、ページ全体のスペースをまず念頭に置いて、一譜表につき何小節書くべきか、というような細かい計算もしたようです。
 バッハの自筆譜に長年接していると、その筆致が単に美しいというだけでなく、流麗なインスピレーションが反映していることも分かってきます。連桁(8分音符以下の細かい音符をつなぐ太い横線)の湾曲の具合からは、音楽的なニュアンスが読み取れることもしばしばですが、執筆中のバッハが思い描き味わった様々なアイディアが、記譜上に滲み出ているということは、楽譜自体が芸術的であるということに他なりません。
 今日、私たちが使っている記譜法は、19世紀になって出版譜が大量に市場に出回った頃のものが基本になっていますので、バッハの使用したものとは少し勝手が違います。もともと、記譜法というものは、音楽と同様、時代と共に少しずつ変わってきていますので、バッハ自筆譜を頼りに解釈を試みようとする場合には、彼の用いた記譜法を正しく理解することが必須です。
 この二者間の一番大きな違いは、何と言っても臨時記号の使い方でしょう。現代の記譜法では、臨時記号は一度用いられると、その小節内に限り有効としていますが、バッハの時代は、次の音が同じピッチでないかぎり、自然に無効としていました。これは、小節線を用いなかった時代の記譜法の名残りですが、1拍ごとに和声が変わる曲も多かったバロック時代の音楽にとっては、演奏家としてみれば、調号に付されたシャープやフラットのみを覚えておいて、それを基準に臨時記号を扱えばよいわけで、そういう意味では利点がありました。
 
 現代の私たちとしても、その古い記譜法から学ぶところが無いわけではありません。概して、臨時記号というのは、音楽的に敏感に反応せねばならない音に付けられています。今日演奏される「無伴奏パルティータ 第1番 ロ短調」を例にとりますと、導音である嬰イ音がそうで、主音であるロ音に解決されなければいけないために、音楽的な引力が働いている、といってもよいでしょう。転調が差し迫っているセクションでは、その新しい調の導音が臨時記号によりその姿を現してきます。例えば、第5小節の嬰ニ音は、第6小節のホ音に解決しています。また、辛辣な感じを与える増二度音程(第2小節:嬰イ―ト音間)も同じ理由で後者に「警告」の臨時記号が付けられています。つまり、バッハの楽譜上には、和声の動きのポイントが常にハイライトされていたことになります。
 記譜上の解釈で最も大きい問題をはらむのは、音符以外の記号、すなわちスラーや装飾記号のような演奏記号です。これらの記号は、一般的に演奏家の自由な解釈に任されていたという伝統もあって、バッハとしては完全に書き込む必要は無かったということもあるのでしょう。いかにバッハの記譜が精巧であるとはいえ、「無伴奏」の自筆浄書譜のスラーの中にも、どの音からどの音までカヴァーされているのか、はっきりとしないものもあります。このアルマンドでは、第16小節目(ファクシミリでは第6段の第3小節)のスラーがそうです(新バッハ全集は、第1拍の5音すべてにかかっていると解釈しています)。バッハの自筆譜でさえこうなのですから、バッハの自筆譜が失われてしまった「チェロの無伴奏」の場合には、状況は真っ暗といってもよいほどです。
 もちろん、記譜上に明示されないところにも、演奏と解釈に大きく影響を与えるものがいくつかあります。過大付点(= overdotting)とイネガル(=notes inegales不等音符)がそれです。前者は、主にフランス風序曲で、付点リズムを複付点として解釈し(バロック時代当時は、複付点という記譜法が無かった)、その荘厳とした雰囲気を出すもので、パルティータの出だしで使うことも考えられます。後者は、ペアーとなる同音価の音符が、特にスラーとして記譜されている場合に、最初に発音される音が長めに演奏され、軽快さを醸し出す奏法を指します。これもフランス様式からの影響で、アルマンドに続くドゥーブル(ファクシミリの下3段)では、この効果が意識されねばなりません。
「アルマンド」
J.S.Bach:パルティータ第1番より
 この「失われた伝統」の再現を試みるときにもう一つ忘れてはならないことは、各モティーフをどう体現し、それをどう発展させてゆくかという、曲の構想に関わる問題です。バッハの時代には、音楽の表現の手段として、修辞学から多くを学びました。主題やモティーフは、いわば議論の元になる着想にあたる概念です。それが冒頭でまず述べられ、集中的に発展させられてゆくわけですが、聴衆の注意が逸れてしまわないよう、計画的にかつ刺激的に説得力のある結末を導いてゆきます。それが効果的に表現されるためには、モティーフが独創的なアイディアを提示するだけでなく、各フレーズにおいて、前出のアイディアに基づいた新しい発展を重ねることで、彫りの深い内容を構築しなければなりません。各フレーズの繋がりに論理性を持たらしめた最強の武器は、音楽表現の手段にまで成長した彼の豊かな和声でした。
 バッハを『不滅なる和声の父』と呼んだ一人にベートーヴェンがいます。1805年に彼は「無伴奏」の初版譜を評して、「名匠の手腕によるいかなる芸術形式の中でも、自由と確信をもって、たとえそれが鎖に繋がれていたとしても、動くということができるおそらく最高の規範であろう」と述べています。晩年の彼がバッハに触れた言葉に「音の組み合わせと和声とのあの無限の、汲み尽くしがたい豊かさのゆえに、彼は小川(バッハ) でなくして大海(メーア)と称すべきだ」というものがあります。バッハの和声に魅せられ、生涯を通じてバッハを深く敬慕したベートーヴェンが残したこの名言には、万感の思いが込められています。

このエッセイは、東京・文京区のトッパンホールの特別企画「バッハ没後250年記念演奏会」第3夜のプログラムに掲載されたものです。


    2000年11月28日(火)19:00(18:30開場) トッパンホール

    豊嶋泰嗣(ヴァイオリン)佐久間由美子(フルート)
    小林道夫(チェンバロ) 花崎 薫(チェロ)

J.S.バッハ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV1023
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番 ロ短調 BWV1002
J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第2番 イ長調 BWV1015
J.S.バッハ(?):トリオ・ソナタ ト長調 BWV1038
J.S.バッハ:「音楽の捧げもの」BWV1079より
フルート、ヴァイオリン、通奏低音のためのトリオ・ソナタ ハ短調