「ドイツ・オルガン・ミサ」として知られるこの異風の作品は、バッハが出版したオルガン曲では、最初でかつ最大の作品集である。1726年に自費で始めた《クラヴィーア練習曲集》の出版は、当初、一連のパルティータを1曲ずつに分けて印刷・販売する、という程度のものであったが、時とともにシリーズとしての構想が徐々に膨らんでいったのは、周知の通りである。その第3回分として1739年9月末に刊行されたのが、この曲集である。様々な意味において苦境にあった時期に創作された為か、作曲の手腕を誇示しているかのようなところも随所に認められ、バッハがこの作品に託した夢と野心が窺える。
初版譜に刻まれた表題は以下の通り。
教理問答歌およびその他の賛美歌に基づく
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曲集の構成は、ドイツ語によるキリエとグローリアが3曲1組で3セット(BWV 669-677)、2曲1組よりなる6つの教理問答コラール(BWV 678-689)、4つのデュエット(BWV 802-805)、そして全てを挟むような形で配置されるプレリュードとフーガ変ホ長調(BWV 552)の全27曲である。
「ドイツ・オルガン・ミサ」という通称は、バッハに由るものではない。厳密には、キリエとグローリアからなるルター教会の「短ミサ曲」に限られている訳ではないので、適切な呼び名とは言えないかもしれないが、曲の主要部分がルターの教えをあたかも音楽で体現しているかのように解釈できるという点を考慮すれば、それ相応の呼称であろう。
ミサ曲はその伝統上、三位一体の概念と密接に結びついている。表題を始め、この曲集中に幅広く認められる“3”という数は、単なる偶然ではない。冒頭と終結の楽章、それにキリエ第1グループにて用いられている変ホ長調の調記号に示される3つのフラット記号はその中のひとつであるが、それ以外にも短ミサ曲に関連するコラール前奏曲全9曲(=3×3)や曲集全体の27曲(=3×3×3)など、曲集の構造もこの数字が基盤となっている。それと同時に、キリスト教信仰の二元論的概念(神と人、霊魂と肉体、光と影、生と死など)が“2”という数や構造上のシンメトリーで象徴的に表わされている所も見逃せない。この曲集中の各コラール前奏曲は、長大な定旋律を据えたpedaliter(要ペダル曲)と、短いmanualiter(手鍵盤のみで演奏される曲)とで二度奏されるが、これはルターの大小の『教理問答書』の関係に対応しているとも取れるし、表題で言及されている「この種の作品に精通する」識者と「愛好家」を指しているとも解釈できる。
実際にバッハがこの曲集の作曲に取りかかったのは、《クラヴィーア練習曲集 第2部》(1735年)の刊行直後であったらしい。彼がコラールに対して新たな認識を持つに至ったという点に関しては、1736年に出版された《シェメッリ歌曲集》との関与が発端であったことも考えられるが、この曲集の成立に繋がる背景としては、侯都ドレスデンからの刺激があったことも忘れてはならない。1730年頃からライプツィヒの市参事会との音楽に対する認識のギャップに頭を悩ませていたバッハだったが、選帝侯フリードリッヒ・アウグスト2世(ポーランド王アウグスト3世)が即位した1733年に「宮廷作曲家」の称号を賜わろうという希望のもと、「キリエ」と「グローリア」(後の《ロ短調ミサ曲》第1部)を献呈したことがあった。これはライプツィヒにおける自分の地位を強化しようという政治的な策略であったが、結果として実を結ぶまでに更なる努力が必要であった。その待望の称号を得たのは約3年後であったが、その2週間後の1736年12月1日に、バッハは当地の聖母教会でオルガン・リサイタルを行っている。その演奏曲目に何がリストされていたのかは分かってはいないが、この曲集に含まれている「キリエ」と「グローリア」を演奏した可能性が高い。
この曲集を作曲するにあたって、バッハが影響を受けたであろう他者の作品は多種多様である。ドイツを代表する鍵盤楽器奏者C.F.フーレブッシュ、バッハの従兄弟のJ.G.ヴァルター、ドレスデン宮廷のリュート奏者S.L.ヴァイス、そして更にはフランス様式やイタリアの古様式を踏襲した作風。それに増して重要なのは、この曲集の場合、オルガン・コラールの扱い方の可能性を極限まで追究していることであろう。様々な対位法技法や様式の探求に加えて、バッハは教会旋法を意図的に前面に押し出しており、長短の調体系枠内で可能な和声的展開範囲を超えているところも面白い。
一方、当時としてはモダンな様式をふんだんに取り入れた曲がここに多数存在することも、ひとつの特徴となっている。この点に関して見逃せないのは、1737年にかつての弟子J.A.シャイベから作曲様式が古臭い、学識が足りない、といった痛烈な個人攻撃を受けた「事件」であろう。その反論として、バッハはこの作品にて汚名挽回を図ったのではないか、といったことも当然推測できるからである。実際、L.C.ミツラーは1740年に発行した『新設音楽文庫』でこの曲集に言及し、これを裏付ける発言をしているのである。
「この曲集で作者(バッハ)は、この作曲分野において他の多くの人よりも熟達し、成功している、という新たな証拠を提示した。この事において彼を超える者は誰もいないであろうし、彼をまねることのできる者も僅かであろう。この作品は、かの宮廷作曲家氏を大胆にも批判する者に対するパワフルな反駁である。」
そういった資料研究でも最も重要かつ啓発的なのは、彫版上にて修正されたページ番号に光を当てたG.バトラーの研究(1990年)であろう。出版譜上にかすかに見とめられる修正の跡に目を留めたバトラーは、詳細な分析を通して、バッハの作曲・編纂過程が大きく3段階あったことを証明した。彼によれば、この曲集はまず短ミサ曲全9曲と教理問答コラールのpedaliter曲のみにて構成されていた(第1過程)。次いで彫版作成中の1738年末頃に、冒頭のプレリュードと終末のフーガ、そして教理問答コラールのmanualiter曲が加えられた(第2過程)。そして出版間際の1739年の夏には4つのデュエットが加えられ、現在の全27曲構成が決定された(第3過程)。つまり、約4年間に渡り、構想が徐々に膨らんでいったことになる。
この編纂過程の解明により、バッハの意図や曲の解釈の理解も大きく前進した。具体的な例として、第2過程以降に加えられる事となった曲がなぜ表題にて言及されていないかという点を見てみよう。これは最近まで多くの研究者を悩ませてきた不可解な問題の一つで、D.ハンフリーズが主張する「密教的構造」(1983年)のように、主観的であてずっぽうな推論を可能にする隙間が大いにあったのだが、それらの曲が曲集全体の中でどう機能し、どのような意味合いを持つか、というような問題に対して、より現実性のある答えを探ることができるようになったのである。
この曲集を優雅に幕開ける長大なプレリュードは、父・子・聖霊を象徴するかのような、3つの対照的な主題を扱う。冒頭に置かれる荘重なフランス風序曲は、各セクションの継ぎ目や終結にも現れ、曲の基調となっている。次に軽やかなホモフォニーを基調としたトリオが続くが、イエスの「人の子」としての運命を描写するかのように徐々にシンコペーションと繋留が多用されるようになり、それに併せて暗い調へ転調して行く。そして曲は冒頭の主題の間奏を経て、流麗なパッセージを有するフーガ風のセクションへと移って行く。ドイツ・ミサ曲 BWV 669-677
「ドイツ・オルガン・ミサ」は、厳格な古様式によるキリエで始まる。1組になっている3曲は、全てが4/2拍子。定旋律は、あたかも神の三位格を一人ずつ紹介しているかのように、曲ごとにソプラノ、テノール、バスと徐々に低声部へと移行されてゆく。最後のBWV 671では、cum organo pleno(最強奏で)が指定されており、テクスチュアが5声へと増幅されて頂点へ達する。各主題は、定旋律の始めの2句分の旋律を用いており、第1曲目のBWV 669では、旋律は反行形でも現われ、第3曲目のBWV 671では、反行形がストレット手法を伴って用いられている。このように、対位法技法も徐々に複雑化の様相を呈し、リズムの活性化と劇的な半音階音の使用も併せて、力強い終止へと展開して行く。教理問答コラール BWV 678-689続く3つのManualiter曲(BWV 672-674)は、それぞれモダンな2/4、6/8、9/8拍子による自由な模倣という、極めて対照的なスタイルによるもので、コラール旋律から取られた主題やモティーフがひとつの統合されたテクスチュアにまとめられている。
次に演奏される3曲(BWV 675-677)は、ドイツ語によるグローリア、すなわちAllein Gott in der H?h sei Ehrである。全てが活発なトリオで、音階を上行する形(F-G-A)で配列されている。外側の2曲はmanualiter。BWV 675は上声部と低声部が鮮やかな音型をふんだんに使用する快活な2声のインヴェンションを展開し、アルトに置かれる定旋律とリズム的にうまく対比されている。BWV 676は厳格でかつ長大な協奏風トリオ。ここでは、分詩節の繰返しが、上2声部間でオクターヴの二重対位法で展開される一方、下の句のコラール旋律の最初の2句が、外声部でカノンの手法で扱われ、終結句では、全ての声部がフーガ風の模倣を用いて巧妙に展開される。BWV 677は、Fughetta Superと題された2重フーガ。軽いアルペッジォによる主題は、コラール旋律の最初の2フレーズの縮小形。
この曲集の芯となるのが、ルターによる6組の教理問答、すなわち十戒、信経、主の祈り、洗礼、悔悛、そして聖餐に関わるコラールである。スケールの大きなpedaliterが2曲1組のペアーの頭に据えられていることは既に述べたが、バッハは作曲技法の面からこの6組を更に2分している。つまり、それぞれpedaliter 3曲ずつのグループの始めと終わりに定旋律のカノンを配置し、中心となる曲にIn Organo plenoと指定して、シンメトリーの軸としているのである。同様に、manualiter曲もシンメトリックに分類が可能で、それぞれフーガ風楽曲2曲と定旋律楽曲1曲の構成となっている。4つのデュエット BWV 802-805このシンメトリーは、作曲技法面からも明らかで、変化に富むpedaliter曲にも、それが鮮明に反映している。前半の3曲では、バス声部に置かれているのは、規則的で引き締まったリズムをもつ自由な旋律であるが、後半の3曲では、定旋律がペダルで奏される。つまり、2組の性格は曲のテクスチュアの中で、バス声部がどう扱われるかによって決定付けられている。これは、見方を変えれば、作曲様式の幅をうまく使っているということになるが、バッハが多様な様式を駆使してこの曲集を編纂しようとしていたことが明らかであるばかりか、全体のバランスの中で各曲を効果的に配置するにはどうすべきか、という高い次元の構想を持っていたことも確認できよう。
流れるパストラーレ風のBWV 678は、煌びやかな上2声と緩やかに進むペダルが、内声部で十戒の定旋律を歌う2声のカノンを包むように書かれている。次のBWV 680は、定旋律を含まない唯一のpedaliter曲で、その代わりに信経のコラール旋律の第1句に基づくオスティナート・バスが置かれている。これは上声部にて展開されるフーガから独立して奏でられる。第1組を締括るBWV 682は、バッハの複雑に入り組んだコラール前奏曲の中でも極めて特殊な例。フランス様式からの影響が強く感じられるが、形式的にはリトルネッロを使ったトリオ・ソナタで、当時流行のロンバルディア・リズム(逆付点リズム)と三連符を駆使した息の長い楽句が用いられ、内声部にて主の祈りの定旋律がカノンの手法で扱われている。極めて半音階的なペダルが、曲の流れを容赦無く前方に押し進めていく。
第2組の外側に配置されているBWV 684と688はどちらも定旋律をペダルに置くコンチェルタンテ。明確なリズムによって特徴付けられた各声部が、透明度の高いテクスチュアを作り出している。洗礼を扱うBWV 684では、低声部にて活発に動く音型が、ヨルダン川の流れを描く。中央に配置されたBWV 686は、古様式による壮大なコラール・モテット。バッハ唯一の6声のオルガン曲で、ペダルが2声を受け持つ。聖餐を扱うBWV 688は、快活な舞曲風の性格をもつフーガ風のトリオ。定旋律がペダルに現れる。主題に現れる大きな跳躍が容赦無く突進して行く様子は、歌詞にて言及される「イエスの死との戦い」を象徴しているかのようで、流れる音型やそれ自身の反行形を背景に、その力強い姿を明確に現す。
これに対するmanualiter曲は、ペダルを使わないということもあり、音の厚みに欠けるが、演奏技巧や様式的な豊かさという点においては、彩色が欠けているとは言えない。BWV 679の主題は、一応はコラール旋律に基づいているものの、反復音に強烈な特異性を感じないわけにはいかない。この効果により、聴衆は10度現れる主題に、「十戒」の象徴を感じるのである。陽気なジーグを思わせる曲の性格は、詩篇第19番や第119番が示すように、戒めに対する喜びの心情を反映しているのかのようだ。BWV 681はフランス風序曲のリズムを使ったフーガと見ることもできようか。旋律は、コラールから採られている。BWV 683は、《オルガン小曲集》風のスタイルで書かれている。高音部に現れるコラール旋律は、曲を通して奏され、伴奏を受け持つ下の3声の独特のモティーフで支えられている。BWV 685は複数のセクションをもつフゲッタ。主題と対主題をコラール旋律から取り、反行形やそこから引き出したモティーフを利用している。H.ケラーは、3度現れる主題とその反行形がイエスの浸礼の儀式を表す、という解釈を提唱している。BWV 687は、濃密なモテット風のオルガン・コラールで、拡大された定旋律がテクスチュアの最上部に置かれる。主題から導かれたモティーフが対位法的に処理されてゆくが、反行形が主題の応答として極めて頻繁に用いられており、何か神学的な意義が隠されているような気がしてならない。ちなみにR.リーヴァーは、罪の赦しが保証されている状況で応えた「告解」を表す、と主張する。BWV 689は、明快な主題の入りと様々なタイプのストレット技法の使用が際立つフーガ。主題がコラール旋律から取られているのに対し、対旋律は曲中で穏やかな動きを掻き立てたり、楽句に方向性を与えたりするなど、背景としての役割に徹している。
コラール旋律に依らず、自由で表情豊かなモティーフを大きなスケールで捉えたインヴェンション。既に述べたように、出版準備も大詰めの1739年中頃に追加された。曲集を全27曲とするための応急処置というのが根本的なところであったことは確かかもしれないが、オリジナルの構想の拡張にありがちな不均衡や亀裂を感じさせないバッハの手腕が光っている。構造的には、この4曲の調がe-F-G-aと音階を上行するように配列されている。曲集をシンメトリックな構造として見た場合、前半のBWV 673-677のe-F-G-Aと対称になるように配置されているところも見逃せないポイントであろう。フーガ 変ホ長調 BWV 552/2この曲集中の意義についての解釈も様々である。聖餐式で演奏されうる曲、という解釈が一般的であるが、その他にも“4”という数象徴を重要視し、「四大基本物質」、「四徳」、「四つの福音書」、「四人の偉大な預言者」、「御座の回りの四獣」(黙示4)、「『小教理問答書』中のルターの四つの教え」など、かなり理論的な仮説も出されている。最近出された説で有力なのは、P.ウイリアムズ(1980年)の「生命を与えてくださった主への敬虔な信仰という文脈内でバッハが集めた種々の対位法の規範」というものである。また、A.クレメント(1999年)は、ハインリッヒ・ミューラーのGeistliche Erquickstunden(『宗教的爽快時間』1710年)の瞑想的なテキストから霊感を得て書かれた、と主張しており、4つのデュエットは「4つの甘いもの」を表し、それぞれ「神の御言葉」、「十字架」、「死」、「天国」を描写している、としている。
デュエット第1番は、3/8拍子の2重フーガ。敏捷に駆け回る音階のパッセージに次いで、シンコペーションを用いた跳躍音型が半音階の旋律と鮮やかに対比されている。デュエット第2番は2/4拍子のフーガ。三部形式の枠組みの中で、外側のセクションにて剛健な三和音を基調とする主題が明朗に展開される一方、中間部では、滑らかに動く第2主題がカノン風に扱われ、半音階和声を追求する。デュエット第3番は、12/8拍子のインヴェンション。転がるようなゼクエンツによる音型が、軽やかに発展してゆく。デュエット第4番は、2/2拍子の広大なフーガ。長大な主題には、3段階に渡る動きの変化があり、くっきりとした輪郭と方向性を持つ。各フレーズは調的に閉じられていることもあって、構造的な転調はあまり用いられていないが、随所に『和声の歪み』が置かれ、全体の流れに変化を持たせている。
冒頭のプレリュードと切り離されて曲集の最後に配置されているこのフーガも、プレリュード以上に特異な作品であるが、それ以上の強い音楽的な繋がりを持っており、この曲集全体を支える抱擁力を感じさせる。このことは、どちらも共にpro organo plenoと指定されていること、変ホ長調という調性、そしてさらには、3つの主題を擁していること等からも明白である。
このフーガは二重フーガである。実際には3つの主題を持つが、全て主題が同時に出揃うことが無いため、三重フーガとは言えない。穏やかに流れる第2主題が6/4拍子、活気溢れる第3主題が12/8拍子という具合に、明確に性格づけられており、それぞれの提示部を経て、古様式を踏襲する第1主題と絡み合いながら二重対位法で展開してゆく。
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